ひとつあがりのカフェテラス
古代日本の真の姿が知りたくて、神社伝承を追い求めています。
2.宇佐市安心院町の妻垣神社と一柱騰宮にアカル姫の足跡を追う①
古代のまち、安心院(あじむ)。
神輿庫の扉に描かれた担ぎ手である氏子のそれぞれの家紋
昭和の文豪 松本清張を魅了し、小説「陸行水行(りくこうすいこう)」にも登場するこの町の「あじむ」とういう地名の起こりについては、海洋部族の阿曇(あづみ=安曇)族が発祥のもととなっていると同氏は考えていました。
大分県北部の山中、この安心院盆地に海の部族がいたことについては、松本清張はこう記しています。
「安心院は現在は山々に囲まれた内陸であるが、この台地の北裾にあたる豊前四日市あたりまでは沖積層で、周防灘がすぐ近くまで入り込んでいたことがわかる。安曇族の漁業基地だったのが、種族の盆地居住で農耕化したのは、信州安曇郡の場合と同じだろう。」(『文藝春秋』昭和56年8月号)
盆地中央に位置する龍王山には海神社が鎮座されており、神社からは、安心院盆地が一望できるそうです。山あいの地域の中心に海神社が祀られている例は全国でも他に見あたらないだろうと言われています(『松本清張と安心院・隠れた九州の霊地』松本清張とふるさと安心院の会発行)。
妻垣(つまがき,ともがき)神社は、その龍王山と仲良く並んで座している共鑰山(ともかぎやま)の裾野で、御神体でもある共鑰山を仰ぎ見るように鎮座されています。
神社の由緒を神社HPで見てみましょう。
「妻垣神社の始まり」
今より2600年も遥か昔、日向を発し東国へ向かわれる途中、神武天皇は宇佐の地に立ち寄られました。
その際、宇佐国造の祖であるウサツヒコ・ウサツヒメの兄妹は一行を迎え入れ、宮を造り盛大にもてなしました。
翌朝、天皇は朝霧の素晴らしいこの地をご覧になり、いたくお気に召されました。
天皇は連なる山々よりひと際輝く共鑰山に御母玉依姫命の御霊をお祀りする社をお造りになり、自ら祭主となって、玉依姫命の御霊を共鑰山にお迎えし、社を「足一騰宮」と名付けられました。このことにより当社の歴史は始まりました。
「社殿の創建」
社殿の創建は天平神護元年(765)閏10月8日、宇佐宮の八幡大神は勅使石川朝臣豊成に『我はすでに共鑰山に示現しているので社殿を設け祀るように』との御神託を下されました。
そこで豊成は当地に社殿を造り、比咩大神・八幡大神を併せて祀られました。また天長年間(823~834)には宇佐宮より神功皇后が勧請されました。
以後当社は比咩大神を主祭神として、宇佐宮八ヶ社の一社となったのです。
「御祭神」
当社の主祭神は、比咩大神(ひめおおかみ)という女神である。
承和11年(844)の「宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起(承和縁起)」によると、比咩大神は、宇佐神宮第二殿の比売大神と同神であり、共鑰山を比売大神の元宮と称すと記されているように、天平5年(733)比咩大神は『我、八幡大神に副い奉らん』との御神託を下され、宇佐宮第二御殿にて祀られる。
当社 本殿(下宮)には主祭神比咩大神を一ノ殿にお祀りし、二ノ殿に八幡大神、三ノ殿に神功皇后をお祀りしている。
共鑰山に正対する随神門
拝殿
申殿・本殿
拝殿・申殿内
本来の参道に建つ西門
参拝したこの日、応対していただいた、現・宮司の小野氏に
「本当に神武天皇はこの地まで、お見えになったんでしょうか?ハツクニシラスと称している崇神天皇ではないかとの説もあるようですが..」と思い切って問うてみました。
小野宮司は苦笑しながらも、はっきりした口調で否定されました。ただ、いろんな説があることも承知しているようでした。
そして、神紋についても尋ねてみました。
妻垣神社の神紋は公式には「三つ巴」とされていますが、本殿の屋根には、五七桐紋と花菱が打たれていますし、また橘紋も見受けられます。
花菱(向かって左)と五七桐紋(右)
橘紋
小野宮司よれば、社殿は戦国大名大友氏の兵火によって一度、焼失してしまったが、黒田長政公によって再建され、その後も、細川・松平・奥平氏と歴代藩主の崇敬を戴いてきたことから、神紋もそれらの影響が大きいのではないかと説明していただきました。また、神輿の担ぎ手である氏子さん方の家紋とも関係あるのではないかとも。当神社に神輿が3基あり、いずれにも担ぎ手である氏子の家紋「五三桐」、「橘」、「三つ巴」が描かれているとのことです。
神輿庫の扉に描かれた担ぎ手である氏子のそれぞれの家紋
このうち「橘」紋の矢野家は、江戸時代までは「矢侯(やこう)」姓を名乗っていたそうで、天種子命(あめのたねこのみこと=中臣(なかとみ)氏の遠祖であり、神武天皇の東征に従軍し,筑紫の宇佐で菟狭津媛(うさつひめ)と結婚したとつたえられている。)を祖先としているとのことでした。
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