ひとつあがりのカフェテラス
古代日本の真の姿が知りたくて、神社伝承を追い求めています。
24.夜明け前のスケッチブック①「不動岩」(中津市耶馬溪町大字深耶馬)
先日、深耶馬溪のモアイ像とも称されている「不動岩」まで出かけてきました。
宇佐市院内町から岳切渓谷(たっきりけいこく)を目指して出発。
目的地は耶馬溪町深耶馬 大城(だいしろ)。
途中、山陰の道路沿いには昼間でも解けきらない雪が所々、固まりとなって残っています。
岳切渓谷(たっきりけいこく)側から町道に入り、大城隧道を過ぎた辺りで車を駐めると左手に小高い丘を見つけることができます。
この丘の上に不動尊像に似た巨石が載っかっていました。
どこか寂しそうにも見えますが、遙か彼方を見据えているかのようです。
頂上まで続くクヌギ林を抜け、少しばかり息を切らしながら丘を登って行くと不動岩にたどり着くことができました。
それにしても奇巌怪石、確かに「モアイ像」にも似ています。
不動岩周辺は耶馬溪溶結凝灰岩(高温の火山灰が大量に堆積し、その重さと高温のために圧縮されて粒子の一部が溶けてくっつき合い、溶岩状になった岩石)の広大な高原がつづいていて、さながら天然の要害のようです。
また、この付近は重要な祭祀場でもあったようです。
往古、ヒミコがこの地域一帯で活動していたと伝えられており、当然、この場所でも祈りをささげていたことでしょう。
さらに、もう一つ、気になることがあります。
「大城」という地名。
「だいしろ(たいしろ)」と読ませているため、かって、この地に大きな山城でもあったかのようですが、中津市教育委員会によると、そういった事実は無く、伝承なども残されていないとのことでした。
では何故に「だいしろ」と呼ばれてきたのでしょうか。
「だいしろ」を「台城」などど書けば、何やら幻の邪馬台国の姿がこの高台の地にじんわり浮かんでくるようですね。
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