ひとつあがりのカフェテラス
古代日本の真の姿が知りたくて、神社伝承を追い求めています。
3.宇佐市安心院町の妻垣神社と一柱騰宮にアカル姫の足跡を追う②
系図1
系図2
アカル姫が日本に渡ってきたルートについては朝鮮半島から但馬国(兵庫県)を経由し、そして大分県は国東半島近くの姫島に入られたとのことです。その後、国東半島を経て大分の奥地へと進み、ここ安心院の妻垣にやってこられたと百嶋先生はお話しなさっています。
そして、夫である天日槍(あめのひぼこ=スサノヲ)もアカル姫の後を追うように新羅から日本に渡ってきたとのことでした。
ここ妻垣神社の周辺には、宗像三女神をお祀りする「三女神社」や幕末に境内で大砲が鋳造されたことで知られる「佐田神社」が鎮座しています。
先に紹介した、この妻垣神社が鎮座する共鑰山(ともかぎやま)の隣、「龍王山」に鎮座する「海神社(かいじんじゃ)」を含め、いずれの神社も安心院盆地の周辺部の、道路から駆け登ったような位置に鎮座されています。この地を静かに見守っているかのようですね。
安心院盆地を見守る
共鑰山(向かって左)と龍王山
系図3
それから、アカル姫の御母についてですが、百嶋神社考古学では、イザナミはイザナギと離婚した後、「熊野フスミ」とお名前を変えられて大幡主と結婚し、アカル姫と豊玉彦(ヤタガラス=豊国主)をお産みになられています(系図3)。
古代日本では、周王朝系呉国・太白の流れを汲む正統な皇統(神武天皇など姫氏)を中心として日本を一つの国にまとめ上げるため、政略結婚が盛んに行われたようです。そして、その度に名前も変えられてきたとのことです。
アカル姫も「イワナガ媛」と名前を変え、この後、八幡古表神社(福岡県築上郡吉富町)に移られたそうです。
なお、アカル姫の誕生は西暦130年頃と考えられています。
境内入り口の鳥居と参道
10
« 4.宇佐市安心院町の妻垣神社と一柱騰宮にアカル姫の足跡を追う③ | 2.宇佐市安心院町の妻垣神社と一柱騰宮にアカル姫の足跡を追う① »
コメント
Comment
list
コメントの投稿
Comment
form
| h o m e |